対人関係の恐怖心を分析②

遡って小学校高学年の頃、

家族以外に承認されないという事が、

私の中では恥ずかしく感じられていました。

一歩外に出たら、幼なじみ以外に心を許せる友だちが

いないと感じていたのです。

その幼なじみにも、完全に理解されていると

思った事はありませんでしたので、

「世界中で家族にしか愛されない人」と

社会に適応できない自分の事を情けなく思って

いました。

 

 

中学1年生の時、新しい家ができました。

祖父母の部屋もあり、家具も用意してあったのだけど、

古い家を無人にしておくのは物騒だと言って、

祖父母はそのまま古い家に住むことになりました。

 

新しい家はきれいで、自分だけの部屋もある事が

うれしかったのですが、

球体のように感じていた家族という集団が

大小の半球2つに分かれてしまったように感じました。

 

「世界中で家族にしか愛されない人」である

私の心の拠り所である家族。

そのあり方に重大な変化が起きた。

事の重大さに全く気づかない私…。

構成員4人の大人と4人の子どもから成る

8人家族がパックリ分断され、

私の日常に色濃く映し出されていた

大好きな2人の影響が薄らいでいきました。

 

祖父母はいつも私たち兄弟の味方でした。

特に祖父は、初孫である私の事を

可愛がってくれていました。

おじいちゃん子、おばあちゃん子であった私は、

祖父母との交流が急に減った事で、

無意識に寂しい気持ちを募らせていたのでしょうか。

(全然会わなくなったわけではないのですが。)

その事が、本来の自分らしさを認められず、

孤独を感じ始めた原因の1つであったのかも知れません。

 

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こんな経緯で、私は、安心安全と思うまで

人との間に無意識につくる壁を壊せないのです。

安心安全と思えるのは、近くまで寄ってきてくれて

辛抱強く壁をノックしてくれる人だけなのです。

 

(ちょーめんどくさい人ですよね(笑)

 書いてて突っ込みたくなります。)

 

というのも

ある一定以上仲良くなると、その人への独占欲が

湧いてくるのです。

「私だけのあなたでいてほしい」という嫉妬心が

燃え上がります。

「私の嫌な面(独占欲以外にもたくさんある)を見て、

 私に腹を立てたり嫌ったりしていないかな」

という猜疑心も、ちらちら浮上してきます。

 

そうなると、嫉妬心を鎮火させるのに精一杯。

(この時猜疑心にも囚われている事には

 気づいていません。)

その人とのベストな距離を模索し、

ひたすら無心になるように努めるのです。

ベストな距離とは、独占欲の発動しない距離です。

 

私の顕在意識が、火消し作業に躍起になってる間に、

仲良くなり始めていたお友だちや、同僚は

私の(内心では必死の)無関心な態度に

居心地が悪くなり、他の人と仲良くなっていきます。

そして、私はどうしようもなくショックを受け、

打ちひしがれます。

でもそれを表に出す事もできません。

その人に更に執着してしまうからです。

 

孤独と絶望をかき消したい一心で、更に壁を厚くして、

傷つかないようにするばかりなのです。

 

 

何じゃそりゃ〜〜〜!!!ですね(笑)

現時点での私は、

「私は心を許せる人が少なく、

 それ以外の人に対して分厚い壁を作る癖がある」と

認識する段階まで到達したところです。

 

壁の発生がオートマチック過ぎて

30代半ばになるまで、なかなか気づきませんでした!

(見えてないふりしてたのかなぁ?)

 

壁のない風通しのいいお付き合いが

どんな人に対しても

できるようになるのが目標です(o^^o)

きっと大丈夫!

 

ちなみに祖父母は今も元気にしており、

あの頃よりも結婚してからの方が頻繁に会っています。

祖父母はひ孫を甘やかす事が楽しみのようです。

困りものです。

 

 

つづく。