恐怖心って?③
小学校に入学するやいなや、
家での暴君度がアップし、弟、妹にキツく当たる、
幼少期の安由美。
(自分の器の小ささ、お恥ずかしい限りです…
_:(´ཀ`」 ∠):ヤメテ)
「社会の役に立つ人材を育てる教育」は
「制限や強制により子どもを導く教育」ではないか。
それって、
先生方の教育への熱意に対して申し訳ないですが、
とっても、とっても、大げさに言ったら、
「恐怖政治」ではないか…。
あの頃の私は
毎日小学校で「恐怖政治」(大げさに言うと)により
統治されていた。
そして自らが暴君として家庭内「恐怖政治」を
展開していた。
単純に考えて、この2つの事柄、関連してると
思いませんか?
恐怖の連鎖…てことだったのだろうか?
「TRAIN-TRAIN」という歌を
聴いたことがある人は多いと思う。
栄光に向って走る あの列車に乗って行こう
はだしのままで飛び出して あの列車に乗って行こう
弱い者達が夕暮れ さらに弱い者をたたく
その音が響きわたれば ブルースは加速していく
その冒頭には、こんな歌詞があります。
例えば、感じた恐怖をエネルギーとして捉えたなら、
自分に抱えきれないほど沢山のエネルギーは
どこかで放出しないと、自分がしんどい。
静電気とかも、身体が帯電してると勝手に
放出されますよね。ビリッて。
空気も自分も乾燥してる、冬場は特にツライです(´;Д;`)
ではその余剰エネルギー(恐怖心由来)の放出方法は?
自分の得意なエネルギーに変えて放出する。
運動する、泣く、怒る、お笑い番組を見て笑う、
カラオケで熱唱する、好きな物を食べる、など。
「怒る」で放出する時は、
「怒る人」と「怒られる対象」が必要。
「怒られる対象=人」だったなら、
怒られる対象の人が、放出されたエネルギーを
受け取ってしまう事がしばしばある。
(私はどちらかというと、受け取ってしまうタイプ。)
そしたら、その受け取ってしまった人も
何らかの形で放出しないと、苦しくなってしまう。
そう考えると、
「怒る」以外の、1人で放出できる方法で
放出するのが好ましいですね。
(このように、
「エネルギーを放出しないと私辛い」という
ボンバーマンが爆弾をキックし合うような
連鎖が生まれやすいことから、
怒りは「三毒」に数えられるのでしょうか?)
では、どんな相手なら
エネルギーを「怒り」として放出できますか?
それは「甘えられる相手」ですよね。
それから「放出したエネルギーが戻って来ない相手」
ですよね。
せっかくエネルギーを放出したのに、
怒り返されたら、また受け取ってしまいますから…。
ふむふむ、
「弱い者達が夕暮れ さらに弱い者をたたく」という
社会の仕組みに合点がいくようになりました。
そして私も無意識に、ブルースが加速していくような、
そのループを構成する一員であるのですね…(゚o゚;;
つづく。