恐怖心って?②
育児への熱い思いと裏腹に、
恐怖政治の暴君になってしまった母、安由美…。
実は、彼女は幼い弟、妹に対し
恐怖政治を強いていた事がありました。
私の言う事聞きなさいよ!!とorzorzorz
(これ、私のガチの恥ずかしい秘密です(ノД`))
安由美の母によれば
「幼稚園の頃までは怒りっぽくなかったんだよ。
小学校に上がってから、よく怒るようになった。
弟や妹に対して怒りをぶつけてたから
嫌がられてたよね。」
だそうな。
だいぶ、ビブラート?ん?
あ、オブラート!に包まれてる表現でしたが
確かに暴君だったようです。
過去の私、そうだった。自覚あります(ノД`)
小学校に上がってから怒りっぽい人になった…。
さてここで、幼稚園と小学校の違いについて
考えてみたいと思います。
幼稚園にあって小学校に無いもの
・お昼寝の時間
・おやつの時間
小学校にあって幼稚園に無いもの
・自分用の勉強机とイス(毎日決められた場所に座る)
・時間割(何時から何時まではこれをやらないとダメ)
・放課(トイレはこの時間以外に行くなら、
先生に言わないと行けない。
遊んでもいいけど制限時間10分または20分)
・宿題
・テスト
・通知表
・先生の「精神棒」というアイテム(1年生の時の
担任の先生は木の板のような物を持っていて、
何かあると「悪い子はお尻を叩くよ!すごい痛いよ!」と
言っていたのが、幼心に怖かった( ;∀;)
実際お尻叩かれる子も…)
私や今の30代半ば頃の人が学校に通ってた頃は、
「社会の役に立つ人材を育てる」という
コンセプトの下、
先生方が一生懸命指導してくれてたのですよね。
当時の社会が求めるのは
「歯車になる人材」ですので、
得意不得意の差が少なく、
レーダーチャートが均一の人材が良しとされたんですよね。
そんな視点で人を育てるなら
制限や強制による指導が必要だと思うんです。
先ほどの「小学校にあって幼稚園に無いもの」の
リストからもわかるように、
制限される事柄が、小学校ではどんと増えています。
よく考えたら、「精神棒」ってアイテムなんて、
秩序に従わせるためとは言え、
小学1年生にしてみたら、脅し道具と変わらないですもんね。
凶器じゃん(大げさ笑)
レーダーチャートの欠けてる所を
必死に埋めようとして、
そのせいで、個人の突出している所(長所)が勢いを失い
つまらないものになってしまう。よくあります。
私の好きな『小さな宇宙人アミ』のシリーズの中で、
アミがこう教えてくれています。
「制限や強制は、愛とは相入れない物」と。
たしか。意味としてはこんな感じ。
制限や強制は愛ではない…。
「あなたの将来を考えて」と
根元にいくら愛があったとしても、
方法を誤れば、愛ではなくなってしまう。
という事でしょうか、アミ先生。
つづく。