世の中の半分は、愛を与えたい人♡

健康コンサルの個人セッションを受けました。

(私のご提供するメニューでは

 「からだコンサル」とさせていただいてます。)

 

お客様にコンサルする立場ではありますが、

私自身、より良い状態でサービスをご提供するため、

先生に指導していただいております。

個人セッションは定期的にあり、

自分を見つめる大事な時間になっています。

 

今日のテーマは「苦手な人や苦手な考え方」。

その中で、

私は「自分は未熟だから、人に愛を配る資格はない。」

と思っていたことに気づきました。

 

でも本当は、私、愛したいタイプだったのです。

 

ボディプロ(ボディープロファイリング)では

全ての人が、

・愛されたい

・どちらかというと愛されたい

・どちらかというと愛したい

・愛したい

の4タイプに分類され、

私はまさに「愛したい」タイプに属します。

 

 

はじめは、思い当たらず

「うーん、そうかなぁ?」って感じだったのですが、

検証すべく、日常を観察してみました。

 

娘に対しての最近の会話は

各種手順の説明や、どうしてこう思うか、など

5W1Hがほとんどで、味気ないなぁ〜。という感じ。

「ママ遊ぼ〜!」って言われても

「お皿洗って、あれやってこれやってからね。」と

自分のミッションが終わるまで待ってもらいます。

で、結果タイムオーバーで一緒に遊べない…。

そして娘がモヤモヤしてだだっ子になる。

 

夫に対しての最近の会話は

今月の引っ越しに関する連絡事項がほとんど(ヒドイ笑笑)

ビジネスライクすぎる…。

 

そんな毎日って、心の交流がないように感じますよね…。

 

そうか、私の日常が単調でつまらなかったのは

心の交流を大切にできていなかったから。

特に相手に対して自分の時間を割く事を避けていたから。

「愛したいという欲求を無視していたから!」だ!

 

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私は日常で出会う人や物を愛したいんだ!

家族や友人や、

近所のスーパーのレジ打ちのお姉さんや、

宅急便のおっちゃんや、

畑で育ててる農作物や畑に来る鳥などなど。

ずっと大切にしてる人や物だけじゃなくて

初めて会う人や物にも、

ティッシュの如く、愛を配りたいと思ってたんだ!

(軽いノリで、「おひとつどーぞー♡」って感じかな?)

 

 

じゃあ、愛を配ってみたらどうなるかな…?

 

相手に私の一部が反映されて、より愛しくなる。

あなたに映し出された私が、あなたの一部になる。

私の一部が世界中の愛すべき対象に映し出される。

愛を配った全ての物には私が宿る。

 

うーん、うまく表現できないけど

私が全ての人や物に存在して、全てに私の要素がある。

私=この身体ではなく、私=世界…という感覚になった。

世界は一つの大きな愛のかたまりだ。

(なんのこっちゃ?ですね(笑))

 

 

とにかく私は、愛する事を求めていたようです。

孤独を感じる事が多かったのは、

愛する事を自分に許していなかったから。

資格がないと言って、出し惜しみしてた!

 

 

ネットでのセッション中に先生と会話しながら、

「私は愛したいと思っていて、

 自分が自分に、愛する事を許したら、

 世界は一つの大きな愛のかたまりなのだと気づいた。」

その答えに至ったときに、

画面の向こう側にいる、セッション担当の先生が

「感動で鳥肌立ちました〜!」と言ってくれました。

「愛知と博多の距離を超えて、鳥肌が…!」って。

そうか、潜在意識の本当の声に気がつくと、

周りの人にこんな風に感動を与えられるんだー(´⊙ω⊙`)

(私も、誰かが潜在意識の本当の声に気がつく

 お手伝いしたい!!

 そして鳥肌立てたい!)

 

 

愛を与える事は、

自分の手持ちの愛がなくなって損、て事じゃあないんだ。

愛を与え始めると、より愛が湧き出る。

与えれば与えるほど、湧き出てくるのなら

永遠に愛を与え続けられるし、

与えるほど愛しさが増していくんじゃないかな?

出し惜しみしてたらもったいないね。

 

今までずっと

「愛だなんて恥ずかしくて口に出せないし、

 書けもしない。」と思ってたのに、

今日のブログ、むちゃ「愛」って単語出てる(笑)

 

 

「宇宙の唯一の法は『愛』なんだ。」

『小さな宇宙人アミ』より

娘観察日記「悲しい事がたくさんあるんだけど…。」と言う4歳児

我が家の娘はもうすぐ満4歳4ヶ月。

 

親の私が言うのもなんですが、

昔から「本当は年齢サバ読んでる?」と言いたいくらい、

大人びた発言をします。

自分の要求を通すために、理由を説明します。

(とは言え、

 「だってね、〇〇ちゃんがそうしたいから。」という

 ジャイアンな理由がよくあります(笑))

 

大人の真似をして、一丁前に周囲に気配りするし、

相手が年下でも大人でも、お世話するのが好き。

あと、知らない人に迷惑かける事をとても嫌がります。

 

それから、家族の誰に似たの?と言いたくなるくらい

記憶力がいい。

「〇〇ちゃん(娘本人)が小さかったとき、

 おじいちゃんのお家でお正月に

 △△ちゃんに会ったことあるよね。」とか。

「冷蔵庫にまだあのおやつ残ってたよね。

 (1ヶ月くらい前に開けたポッキー。)

 あれ食べるー!」とか。

「あの時ね、お友だちに、ああ言われて

 やだったよ…。」とか。

車に乗ってる時や食事時に、急に思い出して

話しだします。

ほんとビビります。

下手な事言えない。オヤツ盗み食いできない(笑)

(こないだはびっくりした拍子に

 ウッカリ「あっばかっ!」と言ってしまった事を、

 私の母にチクられました(笑)

 娘には、びっくりして思わず言ってしまったと

 説明して謝りました。)

 

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なので、トラウマにならないよう、結構慎重になります。

私が怒っちゃったり、ケンカした後は、

私がどう考えたか、どうしてそういう態度だったか、

娘はどう感じたか、を話し合い、

私なりにですが、

娘の気持ちに寄り添うようにしています。

 

同様に悲しい出来事があった時は

私がトラブルの相手の気持ちを推測して話したり、

娘はその時本当はどうしてほしかったか、

次はどう対処する事にするかを、

娘と考えるようにしています。

 

 

今日は運転中に、娘がいきなり

「ママ〜、〇〇ちゃんねぇ、

 悲しい事がたくさんあるんだけど、

 忘れるにはどうしたらいい?」と話しかけてきました。

 

えっなにその悩み、思春期?!

まだ4歳だよね?(´⊙ω⊙`)

 

「えーっとね、

 『〇〇ちゃん、悲しかったね、大丈夫だよ。』って言うと

悲しい気持ちが『そっか、大丈夫か!』って思って

無くなっちゃうよ。」と私なりの解決策を

伝えてみました。

(我ながらいい返答だったので、

 私も悲しい時に自分に言ってみよう(笑))

 

 

子どもの成長って面白いですね(o^^o)

それにしても、私の子どもの頃、

そんなに悲しい事いっぱいなかったけどなぁ…

のーてんきだったよー\( 'ω')/

どんな事が悲しかったか、また聴いてみよー!

 

以上、おませな娘の観察日記でした。

消えそうな情熱に再び火をつける

わたくし、

以前からちょくちょくブログに書いていますが

益山ヒロ先生ご考案の

健康コンサル講座と、ボディープロファイリング講座を

やっています。

(靈氣のお師匠さんは通称ヒロさん、女性です。

 前述の益山ヒロ先生は通称ヒロ先生、男性です。)

 

最近、私自身の、健康コンサルを始めた当初の情熱が

今、当時の何百分の一になっている事に

気付いてしまいました…。

 

「がんばるあなたの人生をより良くしたい!」

「そして幸せな女性たちを増やしたい!」

「ゆくゆくは社会問題、環境問題を解決したい!」

「地球に生きる全ての命が幸せになってほしい!」

 

そう思っていました。

(客観的に見ると暑苦しい(笑))

もちろん、今も。

 

ただ、人の心に訴えかける事にためらいがあったので

私の思いに賛同してくれる人はいても

うまくご案内できていなかったのです。

 

 

その原因は何か…ずっと探っていました。

結論から言うと、原因は

「私が私らしく生きていなかった」という事。

 

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それに気づいたきっかけは

先日の講師向けボディープロファイリング講座でのこと。

 

学びも終盤に入り、身体が教えてくれる

自分自身について、また、パートナーについての

プロファイリングが腑に落ちてきた頃でした。

 

テーマは「フォーマルとカジュアル」。

フォーマル、カジュアルと聞くと、

服装を思い浮かべます。

あとは、その服を着ていく場所。

(レストランと居酒屋、コンサートとライブなど。)

 

他には、例えば人付き合い。

 

フォーマルの人は、丁寧なお上品な関係性が好み。

(初対面では苗字+「さん」で呼び合うのが好き。)

 

カジュアルの人は、ざっくばらんな関係性が好み。

(初対面でも下の名前、なんなら呼び捨てで

 呼んでほしい。)

 

 

私は断然フォーマル派だと思っていました。

流行の服とか興味ないし。

雑貨はスタンダードな物が好きだし。

食事はジャンクな物あまり食べないし。

文章は、かたい感じの方が好きだし。

今どきの略語なぞ使いこなせないし。

 

なのですが、私、ボディープロファイリングでは、

カジュアル派に分類されていました。

 

「え?」

私がカジュアル派というのは間違いではないか?

いや、星の数ほどの臨床データを元に作られた

ボディープロファイリングに間違いがあるだろうか?

いや、ないでしょ。

 

という事はつまり、私は、

自分の事をフォーマルが好きな人と認識してるんだけど、

本当はカジュアルが好きな、

自分の事自分でわかってない人。という事…?

 

 

確かに思い当たる節も…。

お友達になったら、その日から下の名前で呼びたい。

私の事はニックネームで呼んでほしい。

服装はTシャツが楽チンで好き。

音楽はクラッシックのコンサートに行ったら1曲目で

即寝してたくらい、猫に小判だった。

…カジュアルの要素いっぱいあった(笑)

 

自分でない誰かに憧れて、長年かけて

自分にない物を補おうとした結果、

「本質的にはカジュアルなんだけど、

 フォーマルっぽい私」には、なれたようです。

その分、自分のいいところ、全然目がいってません…。

 

 

…これか。

私が毎日疲れ果ててる理由の一つは。

毎日「フォーマルっぽい私」の鎧を装着してたから、

自分を偽ってるって自分でうすうす思ってたし、

鎧が重たくて、毎日ヘロヘロになってる…(´Д` )

 

 

まずは、鎧を脱いで、

毎日を自分らしくいられるようになってみよう。

そしたら、またあの情熱を握りしめて

お仕事に向き合えるようになる気がします(o^^o)

 

 

こんな気づきがあるボディープロファイリング講座、

無料勉強会おすすめです☆

 

 

毎日疲れやすかったり、心が満たされないとしたら、

あなた自身が自分を理解してあげる事で、

単調な日々が輝き出すきっかけになりそうです。

 

それって、つまり

そのままのインナーチャイルドを抱きしめる事。

愛するべきは、パートナーやお子さんの前に、

まず自分自身なのですね。

 

怒りとは?⑤ 怒りは寂しさ、悲しさの二次感情

脳か指示して身体を動かしているわけではない

なんて、聞いた事がありますか?

 

例えば、目の前のカップを取ろうとした時、

身体が先にカップを取る準備をします。

カップを見て身体との距離を目測したり、

手を持ち上げるために筋肉を動かしたり。

脳はそれを察知して、

カップを取ろうとしている」と認識します。

 

脳(顕在意識)からの指示でカップを取る訳ではなく、

脳は、身体(潜在意識)がカップを取るようだぞ、と

認識するだけなのだそうです!

認識するだけ。

 

ですが、私たちが認識できるのは顕在意識だけ。

なので、脳が身体を操っていると思い込んでいます。

実際は、身体の動きが先で、脳での認識が後。

脳は顕在意識、身体は潜在意識と置き換えたなら、

潜在意識の働きが先で、顕在意識の働きが後、と

言えます。

 

では、怒りという感情についてはどうでしょう?

 

行動の場合と同じで、

感情が先に沸き起こり、それを脳が認識するそうです。

 

では、この時の脳はどんな働きをしているのでしょうか?

①怒りの感情が湧き起こる。

②脳が感情を感知し、現実の出来事と結びつける。

③現実の出来事のせいで怒りが起こったと認識する。

 

まじで?

そしたら、私の怒ってる事って意味不明やん…。

 

例えば、私と娘。

①怒りの感情が湧き起こる。

②脳が感情を感知し、帰らないといけない時間なのに

 娘が「まだ帰らない!」とイヤイヤ言って

 予定通りにいかない事と結びつける。

③「私は娘のイヤイヤに振り回されて

 今、超絶怒っている!」と認識する。

って事でしょー?((((;゚Д゚)))))))

 

私の周りの人、皆さんごめんなさい!!!

私の怒りのせいで、あなた様が責められる筋合いは

全くございませんでしたぁぁぁ!!orz

 

私に怒りの感情が湧くのは、

潜在意識が「今怒りたい気分♡」ってなってるから

だったのですね!

 

ほしたら、どうしたらいいんじゃい。

 

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先日参加させてもらった

ヒロ靈氣主催の阿山寛江さん(通称ヒロさん)と

ヒロさんつながりのお仲間とおしゃべりして学び合う

今COCO塾で

怒りについての気づきをシェアしたところ、

こんなヒントをもらいました。

 

「寂しい」とか「悲しい」を感じる事が

あまりに辛すぎる場合、

その気持ちに蓋をする事がある。

そうすると、その押さえつけられた物が

「怒り」として表れる。

「寂しい」「悲しい」を感じるよりも

「怒り」を感じるの方がまだマシという事なんだろう。

 

という事だそうです。

つまり、自分が「怒り」を感じる事を選んでいる。

あまりにも大きな「寂しさ」や「悲しさ」で

自分自身が制御不能になってしまいそうな時は、

「寂しさ」や「悲しさ」を直視しないで済むから、

「怒り」を選択した方が

いち生命体として、個体が生き延びられそう、と

潜在意識が判断するのでしょうか?

生き延びる為の戦略なのですね。

 

ん?

「寂しさ」や「悲しさ」が変換されて「怒り」になる。

今までの理屈なら、

「寂しさ」や「悲しさ」も

潜在意識が「今は悲しみたい気分♡」とかいって

湧き上がるもの?

個体の生死を左右するほどの「寂しさ」や「悲しさ」が

湧き上がる場合も、

潜在意識の「今は悲しみたい気分♡」によるって事?

潜在意識、悲しみの限界にチャレンジしてるの?

それとも「寂しさ」や「悲しさ」を増幅させる条件が

何かあるのでしょうか?

 

 

話は少し変わりますが

怒りを感じ始めてから、10秒数えると

その炎は鎮火すると聞いた事があります。

 

私も過去に試しましたが、

30秒数えても鎮火しませんでしたので

普通に、ど怒りました(笑)心の中で。

 

しかし、この10秒数える方法は、

自分が怒りを感じている事を、客観的に観察するのに

役立ちますし、

(急に湧き上がる、怒りのスピード感に任せて

 「気がついたら反射的に怒ってしまってた!」という

 体験があるのは、私だけではないはず…。)

コツをつかめれば有効かなと思います。

10秒間、頭の中の思考のおしゃべりをストップさせれば

確かに怒りをやり過ごせそうです。

 

 

怒りが湧いてきたら、

①私は寂しいor悲しいと感じる出来事が何かしらある。

②目の前の出来事に怒っている訳ではないと理解する。

 (この、目の前の人を責めるなんてお門違い。)

③TVで流れる「しばらくお待ちください。」の映像を

 イメージしながら10数えて怒りをやり過ごす。

④時間がある時に「何が悲しかった?」など

 自分に向き合う。

 

これが身についたら、

怒りに振り回されてヘトヘトになる事も減りそうですね!

 

優しいお母さんになりたい(;o;)②

どうしたら変われるか?

 

前回の記事で次の展開どうなるのか

全然見当が付かない…と思いましたが、

私は既に、解決するためのツールを手に入れていました。

(すぐに思いつかなかったけど…汗)

 

せっかく学んでいるので

問題解決へのアプローチ方法の一つとして

ご紹介すると…

私は健康コンサル(益山ヒロ先生ご考案のメソッド)に

取り組んでいます。

ワークを通じて、なりたい自分になれる身体づくりを

していくというものです。

頭(顕在意識)でなく、

身体(潜在意識)に着目したメソッドです。

私もまだまだ勉強中の身ですので、

毎日ワークするようにしてます٩( 'ω' )و

 

ご自身が変われる方法がある、とお伝えした上で、

私は今は、先人の教えを参考にしつつ、

自分なりに仕組みを理解しようとする過程が楽しいので

頭(顕在意識)を使って、あれこれ考えてみてます。

 

 

では、母性とは何でしょうか?

…わかりません。

私にはたぶん母性はないので…。

だから、かつて進学を考えた時、

自分が保育士に向いていないと、

その道を諦めたのだと思います。

母性については、思考停止です。

 

 

私は娘に対して、自分の子どもではあるが、

一人の人間だと思って接してきたつもりです。

しかし、人と関わるという事を、

仕方なしに、恐々やってきたようなコミュ障ですので、

接し方が適切でない時が多々あります。

 

私の思春期からの悩みは

(悩んでる期間長いな。

 今30代半ばだから20年くらい悩んでるな。

 もしかすると、私、趣味悩む事かなとも思う。)

「相手の気持ちがわからない。」です。

よく「相手を思いやって」というフレーズを聞きますが、

相手の気持ちに思い至らないために、

(深く考えずに動いてたんだろうなぁ。)

大人になってから、初めて伺うお友だちのお家に

手ぶらで遊びに行ってしまったり

(って、常識の問題 笑)

距離を縮めたいと、相手が不快になるような

プライベートに関わる話をしてしまったり。

 

どうしてこんな事になるんだ?

相手の事を大切に思っていないから。

私は自己中だから。

思いやりがあれば、あんな風にはならなかったのに。

と、自己嫌悪に陥ります。

 

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そんな話を、先日大人になってからできた

お友だち二人に話してみました。

 

(大人になってから本心を話せるお友だちができた事は、

 私にとってはとてもありがたい事だと思います。

 学生時代のお友だちは、

 私とお友だちになってくれるだけあって

 みんな最っ高に!!性格いい子たちですが、

 私が「学生の頃の私」を長い間好きになれなかったので、

 その頃を思い出すと胸が苦しくなってしまい

 気持ちの深いところを話す事ができない事が多いのです。

 繰り返しますが、本当に

 どの子もめちゃくちゃステキな子なのです!)

 

彼女たちは「相手の気持ちなんてわからないよ!」と

結構大きい声で返してきました。

二人とも、それぞれ個性は違いますが、

お友だちが多く、人当たりがよく

でもちゃんと、自分の芯がしっかりとあるタイプです。

 

「相手の感じ方が自分の感じ方と同じとは限らない。」

「だいたいの感じ方は同じかもしれんけどね。」と

あっさり言われました。

 

確かに。

「相手の気持ちがわからないなんて、

 私って人間失格…。」と思っていた頃は

その人の育ってきた環境や、体調や、災害の被災状況や、

家計や、食べ物の好みや、その日の天候や…(笑)

考慮する事が多すぎて、私の頭じゃ、

絶対KY常習犯になっちゃうやん…orzと思ってました。

 

今考えると、何アホな事考えてたんだ私って思う(//∇//)

世の中の人で、そこまで考えられるの、

プロの接客業の人か、社交界でだけでしょ。

 

「相手の気持ちがわからないなんて…。」という

フレーズだけキャッチーに頭に残ってて、

長い間そのフレーズをポケットに入れて

持ち歩いてたんだなぁ。

時々、悲しい時とかにサッと取り出して、

「ほらね、私こんなダメな面もあるし。」と眺めたりして。

ドM…orz

どSなのか…?orz

 

でもやっぱり、相手の気持ちがわからないから、

恋人と別れたり、友だちとケンカしたり、

兄弟に辛く当たったりしてたんだよなぁ。

 

で、今はそれを一通り体験してきて

「相手の気持ちなんて、何となくはわかるようになっても

 結局、全部はわからない。」という結論まで

たどり着いたという事なんですね。

 

そうか、何事も過程が大切とはこういう事。

経験は人生の宝ですね!

私にそんな経験させてくれた皆さんに感謝!!

 

 

つづく。

 

優しいお母さんになりたい(;o;)母性って何?

娘が生まれたばかりの頃は

娘の持つ可能性を最大限に引き出す子育てするぞ!と

意気込んでいた私(笑)

しかし、現実は娘が成長するに従って手に負えなくなり、

最近では、毎日制限だらけの暮らしをさせていました。

 

娘の要求が徐々にエスカレートすると、

私はこの先の要求がどんどんエスカレートしていく事を

懸念してまた制限する。という繰り返しです。

 

私の母は保育士で、私自身も保育士になる事が夢でした。

しかし、自分には向いていないと気づき、

大学進学の際には幼児教育ではなく、他の選択肢を選び、

大学卒業後は、保育士さんとは全く違うお仕事を

していました。

 

現在はご縁があり、託児のバイトをさせてもらって

います。

なので、疑問や悩みがあれば

何人かの保育士さんに直でアドバイスをいただける、

私にとっては、ひたすらありがたい環境にいます。

 

私の周りの方は

「OKとNGの線引きをしっかりしておく事。

 NGの事は、どれだけ要求されても絶対やらせないこと。

 一度許すと、次も許されると思っちゃうからね。」と

皆さん助言をくれるのです。

今まで指針にしてきたのは、この考え方でした。

 

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この教えは確かに理屈として納得がいきます。

しかし、私と娘にはベストではない気がしています。

 

なぜかというと、実は

この教えには絶対守ってほしい、ルールがあります。

「絶対に親が折れてはいけない。

 NGと言ったからには、子どもが泣こうが喚こうが

 それを貫かないといけない。」

子どもに、そういうものだと理解してもらうためです。

 

私にはこれができないのです。

だから、子どもは泣いたらNGがOKにひっくり返る。

と認識してしまうのです。

これが私たち親子には、この教えが向いていないという

理由です。

 

 

では、「私はどうしたい」のでしょう?

 

まず、最近の私たちの様子はと言うと、

私自身は「怒りは確かに毒である」という結論に

たどり着いた時は、

「もう娘に制限するのはやめよう!」と

心新たにしました。

しかし娘はというと、

日々の要求を少しお手柔らかにしてくれる

気配が見えましたが、やはり相変わらず。

 

 

目の前の人は写し鏡だと聞いた事がありませんか?

自分の身の振り方が変われば、お相手も変わると。

 

しかし、娘には今のところ、この法則が通用して

いません…。

私がまだ改めるところがあるのか。

もしかすると、これはこの子本来の性格であって、

私が考え方を変えたところで、

本人は「だから何?」という感じなのかも…。

 

 

では、そんな娘(私から見たら困ったちゃん)に対して

「私はどうしたい」のか?

 

そんな娘を「思いやりがあるところは好き」

「ガンコなところは嫌い」とか

娘を天使の部分とと悪魔の部分に分けて考えずに

娘の構成要素、丸ごと受け入れたい。

 

…なのですが、

どうして悪魔の部分があると感じるかと言うと

それって私の手に負えない部分だからなのです。

その性格が顕著に出ると、対応しきれず

私がヘロヘロになるからです。

 

やっぱり、もう少し踏み込んで自分を変えていかないと

娘との関係が改善しないのかなぁ。

じゃあ、どうやって変わる?

 

 

つづく。

怒りとは?④ 怒りは寂しさ、悲しさの二次感情

前回の記事では、恐怖心の生み出す

恐ろしーい現実を垣間見てしまった…。

 

お付き合い下さった皆さま、

お粗末様でございます。

ご一読下さり、ありがとうございます…

きゃーもー恥ずかしい…ヽ(;▽;)ノ

 

 

さて、

「恐怖心=制限や強制を受けた際に生まれる」

という私なりの結論に達しました。

 

では「怒り」は?

「悲しみ+恐怖心=怒り」

だとしたら

「悲しみ+制限や強制=怒り」

 

「制限や強制」が自分の顕在意識によって

自分に課せられているとしたら、

無限に恐怖心が生み出されます。

 

それが自分の手元を離れて、

他の人に影響してしまうとしたら。

恐怖のエネルギーを、

自分より更に弱い立場の人に向けて

放出してしまう事が、まかり通る

社会の仕組みや常識になっているとしたら。

 

「怒り」とは間違いなく毒です。

自分や周囲の人、更にその先の誰かを苦しめる。

煩悩の中でも代表的な3つに数えられる、

拡散するタイプの毒と言えます。

 

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子どもにも私にも、制限をしない育児。

どんな変化があるのかにについては、

これから検証してみようと思います。

 

 

ところで、育児やパートナーシップについての

無料勉強会をしています。

その中で、恐怖心についての脳のメカニズムを

解説しています。

(以前にご紹介したヒロ先生ご考案のメソッドです。)

またご案内しますので、よろしければご参加ください。

 

 

そして、怒りについての考察、続きます。