人間関係を楽〜にするコツ

人付き合いって、どんなお仕事してても

どんな環境に暮らしていても

必ずあるものですよね。

 

私は今まで人間関係にたくさん悩んできました。

相手の気持ちがわからず怒らせてしまったり。

人との関わりが怖くて、自分の殻に閉じこもったり。

大切な人を無意識に傷つけていたり。

 

私と同じように人間関係で苦しむ人が

本来の自分を取り戻しながら、

キラキラの笑顔で過ごせるようになったらいいな。と

強く望んでいます。

 

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特に女性の方を応援したいと思って活動しています。

女性がイキイキして過ごせるようになったら、

周りの男性も変わります。

これは職場でも、家庭でも同じ。

男性は誰でも、本来とても懐が深くて

女性を喜ばせてあげたいと思ってくれているのです。

(この事が、今までは長い事わからず、

 男性に恐怖心を抱いていました。

 でも、私自身がパートナーシップの問題に

 取り組み始めたら、

 だんだんと頭と体感でわかってきた事です。

 実際に、男性は様々な場面で

 惜しみなく愛を配ってくれているのです。)

 

あなたの周囲が変わり始めると、

社会が変わっていくでしょう。

人々が当事者意識を持ち、

様々な社会問題を解決しようと、

大きな社会変革のウェーブが起きます。

優しくて温かで、自発的でエキサイティングな世界に

変わっていくでしょう。

 

世界も一つのコミュニティです。

とても大きなコミュニティなので

そこに属する人たちそれぞれに

たくさんの異なる考え方があります。

お互いが分かり合えなくて、今も戦争があります。

 

日本も一つのコミュニティです。

同じ国に住んでいても、様々な考えがあります。

お互いを大切にできなくて、苦しんでいる人もいます。

 

まずは、家庭や職場など

あなたの身近なコミュニティの人との関係を

変える事から始めませんか?

 

・相手の感じ方の癖を知る事

・相手と自分の違いを知る事

・相手との違いを受け入れる事(ここが大事だそう!)

 

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私は現在、福岡の人気整体院

ゆるみん天満堂、益山ヒロ先生考案の

「ボディプロファイリング」を学んでいます。

身体のタイプごとに違う感じ方の癖を知り、

相手との違いを受け入れられる身体づくりをすると

いうものです。

 

そう、身体からアプローチするのがポイントなのです。

今まで頭でどうにかしようとしてきた私。

うまくいかない理由はそこだったのです!

今では私も、身体づくりに取り組んでいます☆

 

ヒロ先生は、19歳から整体の道を志され、

ご自身も苦労されながら、

何千人という患者さんを診ていらした経験がおありです。

 

若かりし頃のヒロ先生、

ある日「患者さんは、筋肉や皮膚の質感によって、

よく話すフレーズが違うようだぞ。」と気づきました。

 

身体の特徴からどんな感じ方の癖があるか、

臨床データと先人の教えを基に、

長年の試行錯誤の末、

「ボディープロファイリング」を構築されました。

 

現在は、企業からの依頼を受け、社員教育の一環に

一役買われているそうです。

 

私はヒロ先生に直接お会いしたのは一度だけなのですが、

そのお人柄というか個性的なキャラクターが

大好きになってしまいました!

この人から学びたい!と受講生募集のお知らせに

迷わず飛びついた事があるほど(笑)

 

そんな経緯で学ぶ事になったボディープロファイリング。

(ウェブで複数人の生徒さんたちと一緒に

 お勉強しております。)

あなたも無料勉強会で体験してみませんか?

 

ご希望の方は、個別にメッセンジャー

ご連絡下さいませ(o^^o)

お返事と日程に関するアンケートをお送りします。

 

恐怖心って?③

小学校に入学するやいなや、

家での暴君度がアップし、弟、妹にキツく当たる、

幼少期の安由美。

(自分の器の小ささ、お恥ずかしい限りです…

 _:(´ཀ`」 ∠):ヤメテ)

 

「社会の役に立つ人材を育てる教育」は

「制限や強制により子どもを導く教育」ではないか。

それって、

先生方の教育への熱意に対して申し訳ないですが、

とっても、とっても、大げさに言ったら、

「恐怖政治」ではないか…。

 

あの頃の私は

毎日小学校で「恐怖政治」(大げさに言うと)により

統治されていた。

そして自らが暴君として家庭内「恐怖政治」を

展開していた。

単純に考えて、この2つの事柄、関連してると

思いませんか?

恐怖の連鎖…てことだったのだろうか?

 

 

「TRAIN-TRAIN」という歌を

聴いたことがある人は多いと思う。

 

栄光に向って走る あの列車に乗って行こう

はだしのままで飛び出して あの列車に乗って行こう

弱い者達が夕暮れ さらに弱い者をたたく

その音が響きわたれば ブルースは加速していく

 

その冒頭には、こんな歌詞があります。

 

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例えば、感じた恐怖をエネルギーとして捉えたなら、

自分に抱えきれないほど沢山のエネルギーは

どこかで放出しないと、自分がしんどい。

 

静電気とかも、身体が帯電してると勝手に

放出されますよね。ビリッて。

空気も自分も乾燥してる、冬場は特にツライです(´;Д;`)

 

ではその余剰エネルギー(恐怖心由来)の放出方法は?

自分の得意なエネルギーに変えて放出する。

運動する、泣く、怒る、お笑い番組を見て笑う、

カラオケで熱唱する、好きな物を食べる、など。

 

「怒る」で放出する時は、

「怒る人」と「怒られる対象」が必要。

「怒られる対象=人」だったなら、

怒られる対象の人が、放出されたエネルギーを

受け取ってしまう事がしばしばある。

(私はどちらかというと、受け取ってしまうタイプ。)

そしたら、その受け取ってしまった人も

何らかの形で放出しないと、苦しくなってしまう。

 

そう考えると、

「怒る」以外の、1人で放出できる方法で

放出するのが好ましいですね。

 

(このように、

 「エネルギーを放出しないと私辛い」という

 ボンバーマンが爆弾をキックし合うような

 連鎖が生まれやすいことから、

 怒りは「三毒」に数えられるのでしょうか?)

 

 

では、どんな相手なら

エネルギーを「怒り」として放出できますか?

 

それは「甘えられる相手」ですよね。

それから「放出したエネルギーが戻って来ない相手」

ですよね。

せっかくエネルギーを放出したのに、

怒り返されたら、また受け取ってしまいますから…。

 

ふむふむ、

「弱い者達が夕暮れ さらに弱い者をたたく」という

社会の仕組みに合点がいくようになりました。

そして私も無意識に、ブルースが加速していくような、

そのループを構成する一員であるのですね…(゚o゚;;

 

 

つづく。

恐怖心って?②

育児への熱い思いと裏腹に、

恐怖政治の暴君になってしまった母、安由美…。

 

実は、彼女は幼い弟、妹に対し

恐怖政治を強いていた事がありました。

私の言う事聞きなさいよ!!とorzorzorz

(これ、私のガチの恥ずかしい秘密です(ノД`))

 

安由美の母によれば

「幼稚園の頃までは怒りっぽくなかったんだよ。

 小学校に上がってから、よく怒るようになった。

 弟や妹に対して怒りをぶつけてたから

 嫌がられてたよね。」

だそうな。

だいぶ、ビブラート?ん?

あ、オブラート!に包まれてる表現でしたが

確かに暴君だったようです。

過去の私、そうだった。自覚あります(ノД`)

 

 

小学校に上がってから怒りっぽい人になった…。

さてここで、幼稚園と小学校の違いについて

考えてみたいと思います。

 

幼稚園にあって小学校に無いもの

・お昼寝の時間

・おやつの時間

 

小学校にあって幼稚園に無いもの

・自分用の勉強机とイス(毎日決められた場所に座る)

・時間割(何時から何時まではこれをやらないとダメ)

・放課(トイレはこの時間以外に行くなら、

 先生に言わないと行けない。

 遊んでもいいけど制限時間10分または20分)

・宿題

・テスト

・通知表

・先生の「精神棒」というアイテム(1年生の時の

 担任の先生は木の板のような物を持っていて、

 何かあると「悪い子はお尻を叩くよ!すごい痛いよ!」と

 言っていたのが、幼心に怖かった( ;∀;)

 実際お尻叩かれる子も…)

 

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私や今の30代半ば頃の人が学校に通ってた頃は、

「社会の役に立つ人材を育てる」という

コンセプトの下、

先生方が一生懸命指導してくれてたのですよね。

当時の社会が求めるのは

「歯車になる人材」ですので、

得意不得意の差が少なく、

レーダーチャートが均一の人材が良しとされたんですよね。

 

そんな視点で人を育てるなら

制限や強制による指導が必要だと思うんです。

先ほどの「小学校にあって幼稚園に無いもの」の

リストからもわかるように、

制限される事柄が、小学校ではどんと増えています。

よく考えたら、「精神棒」ってアイテムなんて、

秩序に従わせるためとは言え、

小学1年生にしてみたら、脅し道具と変わらないですもんね。

凶器じゃん(大げさ笑)

 

レーダーチャートの欠けてる所を

必死に埋めようとして、

そのせいで、個人の突出している所(長所)が勢いを失い

つまらないものになってしまう。よくあります。

 

 

私の好きな『小さな宇宙人アミ』のシリーズの中で、

アミがこう教えてくれています。

「制限や強制は、愛とは相入れない物」と。

たしか。意味としてはこんな感じ。

 

制限や強制は愛ではない…。

「あなたの将来を考えて」と

根元にいくら愛があったとしても、

方法を誤れば、愛ではなくなってしまう。

という事でしょうか、アミ先生。

 

 

つづく。

 

恐怖心って?

皆さん、「恐怖政治」って

社会の授業で習った事あるかと思います。

うろ覚えでも、忘れててもOK!

私もなんとなーくしか覚えていません(笑)

が、今日は恐怖政治というフレーズが

たくさん出てきます(笑)

 

goo辞典によると、

 

1 投獄・拷問・脅迫・処刑などの

暴力的な手段によって反対者を弾圧し、

政治上の目的を達成する政治。


フランス革命末期、

1793年5月のジロンド派追放から

1794年7月のテルミドールの反動まで、

ロベスピエールらのジャコバン派によって行われた

独裁政治。

 

と言う意味だそうです。

 

 

私、以前はよく「これ恐怖政治かな?」って

自分の行動に気を付けながら子育てしてました。

子どもを大人の都合のいい型にはめないように。

やりたいと思う事を体験させてあげたい。

サランラップ触りたいの?いーよー引き出して。

お手伝いしてくれるの?いーよー水たくさん出して。

 

私にとってこのやり方は1歳までが限界で、

娘が2歳になり、さらに要求がエスカレートしていくと

私の方がストレスがたまってしまいました。

娘に怒れないから、寝室で布団にダイブし

「もぉーーーーー!!!!!」と叫び

手足バタバタし、それでも足りずに

壁にキックしたら、壁がかかとの形に凹みました(笑)

「えっ?」ポカーン(゚ω゚)…からの

「壁破損してしもうた!賃貸なのにぃ〜!

 私のバカバカバカバカバカバカバカバカ!!

 もうバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ!!

 何で、私は、いつも、こ〜〜なるのっ!!?」

こう書くと笑えますね!

当時は真剣に自分の怒りと戦っておりました(笑)

 

娘が4歳の今は、「私がご機嫌なのが子どもの為。」って

自分が嫌な事を子どもがするのを

「それお母さん嫌だもんでやめて〜!」って

言ってみたり。

遊びながら食べるのを見てイライラしちゃうから、

で、言っても言っても直らないから、

「お行儀悪いの見たくないもんで、

 〇〇ちゃんの方見んどくね〜!」って言ってみたり。

 

結論から言うと、これも失敗でした。

自分ファーストが度を越した私は

「もうお母さん〇〇ちゃんのお世話しきれん。

 〇〇ちゃんのやってほしい事、

 お母さんがんばってやってみたけど、

 〇〇ちゃんのお願いが多すぎてできん。

 もしその事やってほしかったら、

 やってくれる、よそのお母さん探して。」と

子どもにとっての恐怖を煽って

自分の意見を通そうとする

暴挙に出てしまう事がありました。

 

私は一瞬胸がスッとするのですが、

娘は悲しみのどん底につき落とされ、大泣き。

私は「もぉー泣くなっ!」というイライラと

「私のやりたい育児ってこんなだっかなぁ?」という

情けない気持ちと虚無感でいっぱいに。

「こんなに泣かせてしまって、

 娘大好き夫が見たら何て言うか…。」と思ったり。

 

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何やってるんでしょうね(´・ω・`)

娘の持ってる可能性を最大限に生かしてあげたいと

思ってただけなのに。

どんどん大きくなる娘の要求に耐えられず、

一緒にいるのがしんどくなってきて。

立て直そうと舵を切ったら、反動でモラハラ気味に。

なんでやん…。

これ、恐怖政治やん…。

 

 

つづく。

怒りとは?③ 怒りは寂しさ、悲しさの二次感情

恐怖心についてのお話の前に、

「良かれと思って…」という押し付けの躾と

怒りについて考えてみたいと思います。

 

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子どもがおもちゃを散らかして片付けない→悲しい

→??→怒る。

(キチンと片付けできる子になってくれなきゃイヤ。)

(何でイヤって、私がダメな母親って

 世間から思われちゃうから。)

 

という例を、前回の記事では挙げましたが、

私の場合、

 

子どもがおもちゃを散らかして片付けない→悲しい

→??→怒る。

(キチンと片付けできる子になってくれなきゃイヤ。)

(何でイヤって、この子の為を思ったら

 片付けられる能力を身に付けさせてあげたい。)

 

という「あなたの将来の為」というスタンスで、

躾と銘打って制限をする事がよくあります。

つまり相手を思い通りにしたいのです。

 

その制限って例えば

「アイスはお腹を冷やすから食べ過ぎちゃダメ!」

「歯磨きしてから寝ないとダメ!」

「ぶらんこ乗ってて

 お友だちが代わってほしがったら

 変わってあげないとダメ!」

 

 

他に似た感じだと

「保育園に行く日は、

 着替えて、歯磨きして、顔洗ってからじゃないと

 遊んじゃダメ。」という、

全国のママさんに共感してもらえるであろう

切実なお願い…

「ほんとマジでお願いします!!」と頭を下げて

頼みたい事なんかもあります。

 

こちらは「あなたの為」ではなく

「私のお仕事増やさない為」という大人の事情が

絡んでます。

 

あと「臭くなるから裸足で靴履いちゃダメ!」とか。

あと「ティッシュのムダづかいのはダメ!」とか。

あと、あと、あと…挙げ始めると

たくさ〜んあります(笑)

 

 

上の「躾」と思ってしている事は

実は制限しなくていい事も含まれています。

アイス食べ過ぎてもいいし、

歯磨きしないで寝てもいいし、

ぶらんこ代わらなくてもいい。

 

怒ってまでやらせなくてもいい。

よく考えたら、いつかは自分の判断で

できるようになる事ですからね。

 

小さいうちに「将来困らないように」と

あれこれと制限するなんて、

それこそ子どもを操りたい親の心理が表れてるのかも。

(きゃー、反省…。)

 

 

下の「切実なお願い」は

制限するのではなくて、お願いすればいい。

お願い聞いてもらえなかったら、その時は

お母さんも怒っていい(笑)

「お母さんのお願い聞いてほしいんだっ!!

 \\٩(๑`^´๑)۶////」って(笑)

 

「お母さんの言う事聞かなきゃダメ!!ぜったい!」

だと、ちょっと違うかも。

だってそれだと制限だもんね。

 

 

つづく。

 

 

怒りとは?② 怒りは寂しさ、悲しさの二次感情

※前の記事では、寂しさ、悲しさの二次感情であると

お話ししました。

「寂しさ、悲しさ」と並べると長いので

この記事以降、2つの感情を代表して「悲しさ」と

書いています。

 

 

悲しい気持ちを怒りで表現する仕組みって

どうなっているのでしょう?

 

例えば。

恋人が浮気した→悲しい→??→怒る

(私の事もっと大事にしてくれなきゃイヤ。)

(何でイヤって、私の価値や評価が下がる

 気がするから。)

 

子どもがおもちゃを散らかして片付けない→悲しい

→??→怒る。

(キチンと片付けできる子になってくれなきゃイヤ。)

(何でイヤって、私がダメな母親って

 世間から思われちゃうから。)

 

渋滞で車が進まない→悲しい→??→怒る。

(予想外の足止めなんて、

 時間がもったいないからイヤ。)

(何でイヤって、他に今日中にやるべき事あるのに

 できなくなっちゃうから。)

 

どうでしょう?

自分の価値や評価が下がる事への「恐怖心」

世間の目への「恐怖心」

タスクをこなせない事、時間の制限への「恐怖心」

悲しい→??→怒る、の

「??」には「恐怖心」が入りそうではないですか?

 

 

悲しい→「恐怖心」→怒る。

だとしたら、「怒る」には悲しみと同時に

恐怖による苦しみがありますね。

一方「泣く」には悲しみや苦しみを手放す作用が

ある気がします。

浄化とか言いますもんね。

 

泣く事に執着してしまう場合もありますが、

その場合は純粋な悲しみの表現でなく、

悲しい→泣く→泣き続ける→??→憎しみ、のように、

別の感情へ変化する過程にあるのだと思います。

 

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さて、煩悩とは、心身の苦しみを生み出す精神の働き。

だそうです。

怒る事が煩悩の一つと数えられるのは、

何となく納得がいきました!

 

怒りそうになったら

「悲しい気持ちと恐怖心の原因は何かな?」って、

自分に問いかけてみようと思いました(*^ω^*)

 

 

けど、怒ってる時って冷静さを失ってますよね。

必死に怒る自分をなだめるばかり。

下手したら一日中怒ってる時もありますもんね。

(あれ、私だけ?笑)

そういう、扱いに困る感情である、という事も、

煩悩と言われる所以なのかもしれませんね。

 

 

じゃあ、悲しみに恐怖心が加わらなければ

怒りにならないとしたなら、

恐怖心を生み出さなければ、怒りは生まれないのでは?

 

 

つづく。

怒りとは?① 怒りは寂しさ、悲しさの二次感情

こんにちは!

以前のブログで「三毒」という

仏教の考え方について触れました。

その中の一つ、「怒り」について

考えてみたいと思います。

 

「怒りは二次的感情である」と聞いた事が

ありませんか?

怒りの根底には「寂しさ」「悲しさ」があり、

まるでそれを隠すかのように、

怒りが湧き出てくるらしいのです。

 

 

何を隠そう、私は怒りっぽいタイプです。

昔から自分の事をそう認識してきました。

さらに子供の頃は泣き虫でもありました。

 

自分の子どもが私のようだとしたら、

思い通りにならないとすぐ怒ったり泣いたり。

かなり手を焼くと思います(笑)

 

 

では、同じように感情を露わにする「怒る」と「泣く」。

「怒る」だけが三毒と言われる代表的な煩悩なのは

どうしてでしょう?

 

もしかすると「怒る」は二次的な感情というのが

関係あるのかもしれません。

 

悲しい→泣く。

悲しい→??(何らかのスイッチ)→怒る。

という風に、それぞれの感情表現が起こる仕組みが

考えられます。

 

泣く事は、純粋な悲しい気持ち(時にうれしい気持ち)を素直に表しています。

また、涙を流す事は心の浄化作用があるとも。

それに対して、怒る事は、屈折した表現のように

受け取れます。

 

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「泣く」ではなく「怒る」を選んだ場合、

どんなメリットがあるでしょう?

 

まず考えられるのは、周囲の人の注意を引く事。

泣く事も場合によっては共通するかもしれませんが、

「私のご機嫌をあなたがとってよ!」という

メッセージの発信。

 

…「怒る」というのは、子供っぽい未熟な側面が

大きいようですね。

 

 

では、「??」に入る物はなんでしょうか?

もしかしたら、「恐怖心」ではないでしょうか?

 

 

つづく。